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webサイト週刊報道サイト代表「佐藤昇君を応援する会」設立

週刊報道サイト代表「佐藤昇君を応援する会」を設立しました

 2023年2月27日、仲間の佐藤昇君が逮捕されてから7カ月(勾留期間206日)になろうとしている。容疑を一貫して否認している佐藤君の保釈請求は繰り返し却下され続けたが9月20日にようやく保釈された。

 佐藤君は異色のジャーナリストである。正確にはネット記者である。企業とその周辺に寄生する事件屋やアウトサイダーたちからの情報を徹底的に収集して、誠にタイムリーに事件情報を発信するジャーナリストとして、今後の彼の活躍に期待していたが、不運にも当局の手によって捕縛された。約5年前にも罠にはまってしまい逮捕され執行猶予付き有罪判決を受けている。このジャーナリストは誠にスリリングな領域を掘り起こして発信してきた。彼の活動を支持している大手マスコミの記者も少なくない。

 逮捕容疑はなんと、彼に暴露された企業が、カネを払って掲載情報の取り消しを求めたのに対して、彼は代理人弁護士を通して金額を提示した。それが逮捕容疑になったという。これは冤罪逮捕の典型だと受け止めている。

 ヤクザ取材40年、北朝鮮取材20年、現在もある地方都市の市長と大手企業の贈収賄疑惑を取材中の私は、他の記者が踏み込めない領域に突き進んできたジャーナリスト佐藤昇の正義を信じ、無罪を勝ち取るまで応援する所存である。

 仲間たちよ、集まれ。

 2023年9月20日   journalist成田俊一

佐藤昇君を応援する会のメンバーが新たにnoteで「有罪逆転無罪0.1% Mission impossible」なるサイトを作ってくれましたので、覗いて見てください。


 令和5年10月11日、保釈されてから21日後に、佐藤昇君がふたたび恐喝未遂容疑で逮捕されました。
 今回の逮捕、どのような容疑かというと、都内の雑居ビルで偶然出くわした岩坂氏(仮名)という人物から、
「自分について書かれた記事はデタラメだから削除してくれ」
と言われた佐藤君が
「300万払えば消してやる」
と金を要求した、という事なのです。もちろん佐藤君は容疑を完全否定。「偶然出会ったことは事実だが、岩坂とは一切会話をしていない」と主張しています。
 佐藤君が完全否定しているように、この事件、かなり異常なのです。恐喝されたという証拠は、岩坂氏と岩坂氏の実兄の証言のみ。また検察による明確な捏造もあります。解説を読んでいただけると、この事件の異常さがわかっていただけると思います。

<解説編>

公訴事実の概要
 佐藤君にとってまったく身に覚えのないこの事件、物的証拠は何一つありません。検察側が恐喝があったとする根拠は以下の2点のみです。
岩坂氏の供述:「佐藤から、300万円持ってきたら記事を消してやる」と言われた。

岩坂氏の兄の証言:「弟(岩坂氏)から、記事を消すために300万円必要だからお金を貸してくれ」と頼まれた。

 これだけです。なんの裏付けもない兄弟によるこの2つの話だけで、検察は佐藤君を起訴し、令和5年10月11日から令和6年7月10日まで、なんと9か月間(274日間)も拘留され続けたのです。

 では、「佐藤から、300万円持ってきたら記事を消してやると脅された」と訴えている岩坂氏はどんな人物なのでしょうか?裁判の公判で明らかになっている明確な事実は、

1.身体に刺青が入っている
2.小指がない
3.恐喝で佐藤君と一緒に逮捕されたことがある

 以上3点です。そして上記1,2に関して岩坂氏はこんな証言をしています。
1について
「入れ墨は18、19歳ぐらいの時にいたずらで入れたもの」
2について
「草刈り機の事故で指がなくなってしまった」
3に関しては、岩坂氏と佐藤君は平成29年12月20日に恐喝で逮捕され、岩坂氏は平成30年3月1日に、佐藤君は平成30年5月24日に、ともに懲役3年執行猶予5年の有罪判決が下されています。この逮捕に関して佐藤君は「恐喝されたと訴えた人物が岩坂を使って作り上げた事件」と筆者に語っており、実際佐藤君以外の共犯者からも同じ話は聞いているのですが、すでに有罪が確定している事件なので具体的な内容には触れません。ただ今回の逮捕とは切り離して語ることもできませんので、その点は後述させていただきます。

 さて、岩坂氏を脅したというこの事件は具体的にどのようなものなのか?その概要を検察の公訴事実をもとに記します。
 恐喝未遂は東京・新橋の「ニュー新橋ビル」で、令和元年8月2日に起きたとされています。ちなみに8月2日という日にちは検察の完全なデッチ上げですが、このことは後で詳しく説明いたします。
 ”恐喝未遂”が起きる発端は「週刊報道サイト」に掲載された岩坂氏に関する記事です。内容としては、岩坂氏の顔写真を掲載し、「盗録音癖有、間者(スパイ)であるとの疑惑が広く報道等されている、指定暴力団稲川会三本杉一家の元暴力団組員」などと書いてあります。この記事によって岩坂氏は困っていたという事なのですが、そんな折、岩坂氏は偶然ニュー新橋ビルで佐藤君と鉢合わせをします。そしてその場で岩坂氏は佐藤君に記事の削除を求めたといいます。それに対して佐藤君は
「『消してほしければ300万持ってこい。300万払えば消してやるよ』などと言って、現金300万円を支払えば前記掲載を削除する旨伝え、もしその要求に応じなければ前記掲載が削除されず、同人の名誉等が棄損され続ける旨、同人を困惑畏怖させ、同人から現金を脅し取ろうとした」(公訴事実より)
という事だそうです。また、岩坂氏が「警察に届け出たためその目的を遂げなかった」ことから、容疑は恐喝未遂となっています。
 もちろん「300万円持ってきたら記事を消してやる」という文言だけでは恐喝罪は成立しません。恐喝罪は、暴行や脅迫を手段として、相手を困らせ怖がらせ、お金など財物・財産を交付させたり利益を得る犯罪です。つまり佐藤君に「300万円持ってきたら記事を消してやる」と言われ、岩坂氏が佐藤君のその言葉に恐れおののき困惑畏怖し、金銭を渡した(渡そうとした)証拠が必要となります。この点に関して、検察は公判で、
「被害者(岩坂氏)は本件記事の削除のためには被告人の要求に応じるしかないと思い、兄や妻、妻のいとこに対し300万円を貸してもらいたい旨頼み込んだものの、いずれからもこれを断られました」
という主張をしています。また、岩坂氏は裁判の公判で以下のような証言をしました。

・実名が掲載されたのでマンションを借りられなくなった。
・姉のお通夜、葬儀に出られなかった
・息子から「事実なのか?」と電話があった
・300万円を支払えば記事を消してもらえると思い金を工面しようと思った

 要は生活に実害がでたり、親族との手前300万円を支払おうと思った、という訳です。しかし岩坂氏は300万円の手持ちがなく、兄に借金のお願いをしたという事です。

明らかにおかしな証言
 岩坂氏の兄は5月30日、証人として出廷して、裁判の公判でこんな証言をしました。

「電話で、弟から300万貸してほしいと言われた。何かのサイトで偽の情報が流されいて、『それを消してほしかったらお金を支払え』と言われている、と。その後、私もそのサイトを見たが、要するに反社会勢力だというようなことが書かれており、あまりにも内容が衝撃的だったので非常に困惑した。ただお金に余裕がなかったので貸さなかった」

 「何かのサイト」というのは週刊報道サイトの事です。この証言にはそれを裏付ける物証は何一つありません。お金を貸してないという事ですから振込記録は当然ありませんし、通話記録もありません。”証言一つ”なのですが、兄の証言にはどうしても?がついてしまうのです。その理由は・・・少し長いですが佐藤君の弁護人の反対尋問を読んでみてください。
ーーー
弁護人
あなたの弟さんが恐喝、恐喝未遂という刑事件を起こしたことはご存知ですか?
岩坂氏兄
存じ上げません。
弁護人
有罪判決を受けたことは知っておりますか?
岩坂氏兄
知りません。
弁護人
あなたと、証人の弟は普段どういう交際をしているんですか?
岩坂氏兄
普通の何かイベントがあった時に会うとか、そういうことで話はしております。
弁護人
普段普通に交際している兄弟、という意味ですか?
岩坂氏兄
左様でございます。
弁護人
ところで、弟さんのからだに入れ墨が彫られていることは承知しておりますか?
岩坂氏兄
存じ上げません。
弁護人
左手の小指の第1関節が欠損していることは知っていますか?
岩坂氏兄
知っております。
弁護人
どういう経緯で欠損したのか、ご存じですか?
岩坂氏兄
確か草刈りをしていて誤ってその歯が手に当たった、という風な話は聞いたことはあります。
弁護人
いつ頃聞きました。
岩坂氏兄
いつぐらいかははっきり覚えておりません。
弁護人
かなり以前ですか?
岩坂氏兄
何年前かははっきりしたことは今の記憶では出てきません。
ーーー
 週刊報道サイトの弟に関する記事を見て「あまりにも内容が衝撃的だったので非常に困惑した」と証言しながら、刺青の事は知らず、指が事故でなくなったことは知っているがその時期は分からない、恐喝で有罪判決を受けたことも知らない、というのです。100歩譲ってこの証言内容は、「300万円の借金の電話前のこと」を語っているとしましょう。それもでもやはり変なのです。 岩坂氏が300万円を用意しようとした動機は
「姉のお通夜、葬儀に出られなかった」
という理由です。具体的にはこんな証言をしています。
「姉の旦那さんが国会議員なものですから、『ちょっとは遠慮してもらいたい』ってことを言われました。『こういう記事が出てる』って」
また兄も同じように、
「姉の夫は非常に社会的に地位のある方なので、インターネットであることないこと色々書かれていて、それによって迷惑がかかるかもしれない、ということで、弟は仕方なく葬儀に出席できませんでした」
と言っています。つまり姉の葬儀の時には週刊報道サイトの記事のことを兄は知っていた訳です。にもかかわらず、兄は
「弟からの300万円の借金の電話ではじめて週刊報道サイトの記事を知った」
と言っているのです。岩坂氏が兄に借金の電話をしたのはまちがいなく姉の葬儀の後です。兄の証言はあきらかに辻褄が会わないのです。一応、時系列にかかわる岩坂氏の証言を下に記しておきます。
―――
検察官
お兄さんに相談したのは、被告人から恐喝された日からどれぐらいたってからですか?
岩坂
姉の葬儀が終わってからなんで、9月終わりぐらいだったと思います。
検察官
今の時期については、お姉さんの葬儀から紐付けて考えているんですか。
岩坂
はい、そうです。
検察官
お姉さんの葬儀があったのがいつなんですか。
岩坂
9月15日です。
検察官
その葬儀に行くことができなかった、というのもあって、お兄さんに相談することにしたんですね。
岩坂
はい。
検察官
お兄さんに相談したのは令和元年9月15日よりの後ですね。
岩坂
はい、そうです。
―――
 以上のようなことから「兄に電話で300万円の借金の相談をした」話は、作り話なのでは?と思えてしまうのです。

犯行日時をでっち上げた検察
 岩坂氏兄の証言は辻褄が合わない、というレベルですが、以下に記す件は明確な「検察が作り上げたストーリー」、つまりでっち上げになります。
 検察の公訴事実ではニュー新橋ビルで佐藤君と岩坂氏が遭遇したのは令和元年8月2日となっています。しかし、実際は
同年7月2日なのです。令和元年の事件を4年半も経過してから立件したため、検察はどうも日時の特定ができなかったようです。しかし、日にちくらい特定していないと、信ぴょう性が失われるとでも思ったのでしょう。8月2日と特定するためストーリーを作り上げました。そのために利用したのが公的資料です。具体的には岩坂氏が横浜地裁に提出した上申書です。
 岩坂氏は当時、神奈川県のマンションに住んでいたのですが、何らかの理由でそのマンションを明け渡すよう横浜地裁から通告されており、8月8日に強制執行されることが決まっていました。しかし転居先に入居できるのが約一か月後(9月17日)だったため、岩坂氏は強制執行を延期してほしい旨の上申書を横浜地裁に提出しています。
 自ら上申書を作成することができなかったため、岩坂氏は新橋にある「まほろば法律事務所」に上申書の作成を電話で依頼。8月2日に上申書を取りに行くのですが、その途中、昼食をとるために立ち寄ったのがニュー新橋ビルだった、という事なのです。話を整理するために一連の流れを下にまとめます。
 
7月12日 横浜地裁、岩坂氏の住むマンションの強制執行予定日を8月8日とすることを公示
8月 2日 岩坂氏、転居先として千葉県のマンションを契約
8月 2日 岩坂氏、まほろば法律事務所に行くためニュー新橋ビルへ。そこで佐藤君に遭遇
8月 3日 岩坂氏の上申書を横浜地裁が受理 

 強制執行を延期してもらうためには、新たな転居先を決めている必要がありました。転居先である千葉のマンションの賃貸契約をしたのも8月2日です。つまり8月2日には賃貸契約をして、上申書もその日に作ってもらったことになります。そして、翌日3日、上申書は横浜地裁に受理されています。
 検察はこの上申書、賃貸契約書を証拠として裁判所に提出。これに岩坂氏の
「まほろば法律事務所に作成を頼んであった書類を取りに行く際に、時間があったので昼食を取りにニュー新橋ビルに寄りました」
という証言と合わせて、8月2日を犯行日としました。
しかし、罪状認否で佐藤君が8月2日という日にちを明確に否定してしまったのです。
「公訴事実は全く事実と異なります。令和元年8月2日金曜日、私はニュー新橋ビルには行っておりません。当然ながら、岩坂とも会っておりません」
 もともとでっち上げた日付だったので、佐藤君にこうもきっぱり否定され検察は焦ったようです。そこで何をやったかというと犯行日に幅を持たせるという作戦にでました。岩坂氏の証人尋問からその様子がよくわかりますので、以下に記します。
ーーー
検察官
時期に関してですが、上申書見ると裁判所に提出する年月日が令和元年8月2日になってます。そうすると、 令和元年8月2日までに裁判所に届くように送付した、ということになりますか?
岩坂氏
そうですね。通常考えてみれば、8月2日に届けなければならないものを8月2日に取りに行ったのでは、間に合わないですね。(筆者注:横浜地裁の受理は8月3日なので8月2日に取りに行っても間に合う)
検察官
そうすると、まほろば法律事務所に行ったのは、8月2日から起算してどれぐらい前になりますか。
岩坂氏
そうですね。書類作ってもらうのは1、2週間、長くても3週間ぐらい前までですね。
検察官
そうすると、この8月2日の2、3週間前だろう、という事ですか?
岩坂氏
はい。
検察官
もっと早い1か月前という事もあり得ますか?
岩坂氏
ないとも限らないです。
ーーー
 こうして「8月2日は岩坂氏の記憶違いかもしれない」ということにして、検察は犯行日に幅を持たせ、佐藤君の主張に対応できるように訴因変更を行いました。ちなみに訴因変更というのは刑事事件の審理の途中で起訴状に記載された訴因や罰条を変更することで、この裁判においては犯行日時が

令和元年8月2日午後2時頃→令和元年6月下旬頃から同年8月2日までの間


と変わりました。

 8月2日という日にちは変更できましたが、まほろば法律事務に上申書を取りに行った日が犯行日というのが、検察の前提です。しかしその前提だと8月2日という日付は動かすことはできないのです。なぜかというと、岩坂氏が賃貸契約をした千葉県のマンションの大家(所有者)が、そのマンションを購入、登記したのが8月2日だからです。

(*岩坂氏が契約した転居先の不動産登記。大家である「●●プランニング」がこの物件を売買、登記した日付が令和元年8月2日になっていることがわかる)

 当然、8月2日より前に賃貸契約を結ぶことはできず、新たな転居先が決まっている事が前提である上申書も8月2日より前に作成することはできないのです。つまり岩坂氏の証言、
「(まほろば法律事務所に行ったのは)8月2日の1、2週間、 長くても3週間ぐらい前」
という事はあり得ないのです。検察は「まほろば法律事務所に行った日が犯行日」というストーリーを作ったがゆえに、綻びがでてしまったのです。

 ちななみに、「8月2日犯行日説」には余談があります。実はこの日、佐藤君は警視庁の久松署に行っていた、というアリバイがあるのです。佐藤君の被告人尋問での証言の要約を以下に記します。
ーーー
 8月2日の午後2時は、警視庁の久松署に詐欺に遭った5人の被害者、具体的に名前を言うと元ボクシン世界王者の柴田国明さん、・・・・・という被害に遭った人のオブザーバーとして、警視庁久松署に午後1時から行きました。相当長い時間がかかって、早く終わるかと思ったら午後3時過ぎまでかかりました。みんな詐欺被害に遭っているので、ずっと刑事さんにメンメンと被害を訴えていて。その取り調べを担当した刑事の名前はタカハシタカユキといいます。タカハシタカユキ刑事から、「名刺ください」って言われたんで、その場で名刺渡しています。検察の権限で 警視庁の久松署刑事のタカハシタカユキ、その人の令和元年8月2日勤務簿を見れば、 僕と柴田国明さんら計6人が、その時間に久松署にいたことが明らかになると思います。検察がこだわっている令和元年8月2日午後2時は、まさしく警視庁久松署1階の応接室におりました。
ーーー

岩坂氏と佐藤君がニュー新橋ビルで出会った状況と検察の不思議な調書
 このように佐藤君と岩坂氏が令和元年8月2日という日にちには、会っていないことは間違いないのですが、佐藤君も認めているように2人がニュー新橋ビルで偶然出会っていることは確かです。では現場の状況はどんな感じだったのでしょうか?裁判の公判で出てきた証言からはっきりしていることは以下となります。

1.その日、佐藤君は知人の石渡氏(仮名)とともにニュー新橋ビル9階にある石渡氏知人の事務所に行くところだった
2.9階に上がろうとエレベーターホールに立っていると、開いたエレベーターの中から岩坂氏が出てきた
3.岩坂氏と石渡氏は古くから付き合いのある仲だった。2人はその場で会話を始めた
4.会話の途中で岩坂氏が誰かに電話をかけ、その電話を石渡氏に代わった。石渡氏は誰かと電話で話をしていた
5.その電話が終わった後、佐藤君と石渡氏は9階に行くためエレベーターに乗った

 で、検察が「恐喝があった」と主張しているタイミングは、石渡氏が誰かと電話で話をしている間、とされており、時間的には、
「多分1分あるかないかぐらいだと思います。石渡さんが電話をしてる時間ぐらいですので」(岩坂氏証言)
ということで、1分程度の会話が佐藤君との間であり、そこで脅された、との主張です。
 一方、佐藤君は最初に記したように「岩坂とは一切会話をしていない」と主張しています。そして、その時の現場の様子はこんな感じだったという事です。
「ニュー新橋ビルは新橋でも1番人通りの多いビルなので、エレベーターホールの前は人がごった返していた。石渡さんと岩坂が一緒に話していた場所は、通行人の迷惑になるような人通りの多いところ。それなので、僕は配慮して岩坂とは全然離れたスミッコに移動した。そもそも岩坂と話す必要もないので」(佐藤君尋問の要約)
 ここまで記した事を読んでいただければお分かりと思いますが、その場には2人以外に石渡氏という人物が居た訳です。石渡氏は現場の状況はよくわかっているハズですが、残念なことに検察への捜査協力も拒むと同時に、佐藤君の証人として法廷に立つこともありませんでした。
 そしてもう一人、この場の状況を若干ながら知る人物がいます。それは石渡氏と電話で会話していた相手です。藤田氏(仮名)という方ですが、藤田氏は佐藤君とも岩坂氏とも石渡氏ともそれなりの付き合いがある人物で、検察側の証人尋問で出廷しています。
 尋問のポイントは、電話の会話中に石渡氏以外、誰の声が聞こえたか?という事なのですが、藤田氏は「岩坂氏の声だけわかった」と証言しています。しかし、ちょっと面白い証言がありました。佐藤君の弁護人からの反対尋問の時の事です。
ーーー
弁護人
証人は令和5年10月26日に 千葉地方検察庁で今日証言されたような内容のことをお話して、 調書がとられておりますね。
藤田氏
はい。
弁護人
その時に岩坂と電話をしていた相手について、 佐藤だったと答えておりませんか。
藤田氏
答えていると思います。
弁護人
今日の証言は、岩坂と話をしていたのが誰かわからないという証言でしたね。
藤田氏
それはもう佐藤さんがいる、という前提で話しただけなんです。
弁護人
そうすると、岩坂と話していた声が、佐藤の声だとわかったわけですか。
藤田氏
いや
弁護人
それはわからなかったけですか?
藤田氏
ちょっと千葉地検の話をしていいですか。私は石渡さんに証言をしてもらってくださいとうことを、千葉地検の方に言って、私が石渡さんにその場で電話をしました。そして石渡さんに「私はただ電話を受けて、そういう想像の中でやってるわけですから、あなたが証言してください」と伝え、検察の方に石渡さんに証言してもらうようお願いをしたんです。それがどうなったかわかりませんけど、現状で私がこうして証人に立つことになりました。
弁護人
千葉地検で調べを受けた時に、藤田に電話をしたわけですね。
藤田氏
しました。その場で検事さんに変わってもらいました。
ーーー
「私はただ電話を受けて、そういう想像の中でやってるわけですから」と藤田氏が言っているように、藤田氏としては記憶がかなりあいまいだった訳です。当たり前の事ですが、4年以上前の電話会話の、しかも電話越しの内容を覚えている方がおかしな話です。にもかかわらず検察は
「岩坂さんと佐藤さんが会話している声が聞こえた」
という藤田氏の調書を作っていたのです。しかし、藤田氏は良心の呵責を覚えたのでしょう。証人尋問では「誰かわからない」と証言を変えたのです。
 
 では、現場での状況について佐藤君はどう証言したのでしょうか?証言を要約します。

「ニュー新橋ビルには11時か11時半に行った。実況見分の報告書に書いてある通り、人通りがものすごい多いところで、通行の邪魔になるので端によけた。2人は人通りの真ん中で話していた。2人の会話から『藤田さん』というのと『詐欺師』という言葉は分かったので『藤田さんの話をしているのだな』と思ったが、詳しい内容は全然聞こえなかった。電話を始めたところも見えた。2人の会話は唐突に終わった。石渡さんはすごく迷惑そうな顔をしていた。石渡さんは『早くあっちへ行け』みたいな感じで岩坂を追っ払った。そして僕と石渡さんはエレベーターに乗って9階に移動した」

 藤田氏が電話越しに聞いた岩坂氏以外の声は、おそらくエレベーターホール周辺の雑踏の声だったのではないでしょうか。

午前11時半ごろのニュー新橋ビルエレベーターホール前の様子。この時間は常時この程度の人通りがある

●佐藤君が恐喝をしない絶対的な根拠
 被告人尋問で佐藤君が少し語気を強めて証言した場面がありました。それは検察官からの
「あなたの主張としては、岩坂さんがデタラメを言ってるからあなたの話と食い違っているんだ、という事で良いんですね?」
という質問をされた時の事。
「食い違ってるっていうか、なぜ僕が岩坂と話さないといけないんですか。そこがもう全然ずれちゃってますよ。僕が岩坂となにか話すんですか?話す必要がないから話さない。それだけです。なぜ話す必要があるって判断するんですか」
 おそらく検察官は、佐藤君がこう少し食って掛かった意味合いを感覚的には理解していないと思います。しかし、佐藤君と岩坂氏との因縁の知っている筆者などからすると、佐藤君が語気を強めた理由はよくわかるのです。
 佐藤君と岩坂氏は平成29年12月20日に礒辺氏(仮名)という会社経営者兼弁護士を恐喝したとして逮捕され、岩坂氏は平成30年3月1日に、佐藤君は平成30年5月24日に、ともに有罪になりました。しかし、この事件は佐藤君以外に逮捕された複数の関係者が
「岩坂と礒辺が組んで絵を描いたとしか思えない。嵌められた」
と語っており、佐藤君もそう確信しています。そして、礒辺氏恐喝事件について今回の被告人質問で佐藤君はこんな証言をしています。
「当初は否認していましたが、弁護士から『執行猶予を狙いに行った方がいい』と言われ、急遽、第1回公判の罪状認否で認める形になりました。家族がもう疲れきっていました。『佐藤さんが最後まで争いたがっている事はわかるけど、1人で生きてるわけじゃないんだから、ここはぐっと飲み込んで、執行猶予狙いで行った方がいい』と弁護士さんからずっと説得されて、否認の方針を急遽変えました」
 佐藤君は岩坂氏に対して、礒辺氏恐喝事件のこんな思いがあるのです。ですから、
「岩坂の記事は『僕とは一切関係ない。接触は一切ない』ということを告知するために、それは必要でした。だから、お金で消すとか、そういう種類の記事ではありません。絶対に消すことのない記事です」
と佐藤君は証言したのです。
 絶対に消すことのない記事−−佐藤君が味わった苦汁を知っている我々からすると当然のことなのです。

 これまで記してきたように検察は明らかにストーリーを作っています。このストーリーを現実のものとするために、佐藤君をずっと拘留し続け”自白”させようとしました。これが検察のテクニックなのです。捕まえて、拘留し続け、家族が音を上げて、検察のストーリーに印を捺させるーーこれでストーリーは実在の事件になるのです。人権侵害という言葉は使いません。家族を拷問にかけ自白させるのです。
 裁判は水物です。この案件どんな判決が出るかはわかりません。しかし、検察がストーリーを作っていること、これだけは否定しようのない事実です。

 2024年7月18日 佐藤昇君を応援する会(代表journalist成田俊一)


 <追記>
2024年6月7日 弁護人が保釈請求

2024年6月10日 東京地方裁判所が保釈許可決定

2024年6月10日 検察官が抗告申立

2024年6月11日 東京高等裁判所が東京地方裁判所による保釈許可決定を取り消す決定

2024年6月25日 弁護人が保釈請求

2024年6月28日 東京地方裁判所が保釈請求却下

2024年7月4日 弁護人が保釈請求

2024年7月9日 東京地方裁判所が保釈許可決定

2024年7月9日 検察官が抗告申立

2024年7月10日 東京高等裁判所が検察官による抗告を棄却して保釈許可決定が確定(勾留期間274日、前回の206日と併せた合計勾留期間は480日)

2024年10月23日 無罪判決宣告

2024年11月6日 無罪判決確定

 佐藤昇君を応援する会(代表journalist成田俊一)